カスタマイズできる余地余白
今日は久しぶりに過去に建てた住宅にお邪魔した。ちょっとした不具合を見に行って、その場で処置して、すぐに帰ってきたが、やはり今は、ちょっと上がってお茶でも、という感じにはならない。
私たちは何もない真っ新なところからはじめて、形にして、完成し、クライアントに引き渡す。それが住宅ならば、そこでの日常や暮らしを想像しながらつくり上げていくが、なのに一度たりとも住むことはなく、そこでの日常や暮らしを体感することもない。
だから、クライアントが羨ましい、そこでの日常や暮らしはきっと楽しいだろうなと思えるものを設計し、つくっているから。
時には、こちらの想像を超えるような暮らし方をしているクライアントもいて、たまに、これからクライアントになるかもしれない人を連れて行って説明すると、そこにリアリティを感じ、それが決め手になることがある。
建築自体のアカデミックなことはとりあえず置いておいて、クライアント目線で考えると、どうもこちらが意図したこととは違うことが行われているということは、カスタマイズしながら積極的に自分たちの日常や暮らしを送ることができると解釈するようだ。
そのようなことは当たり前ではないかと思ったりするが、どうも自分たちの家を、それも新築の家を、カスタマイズしながら住むという発想がないのか、できても模様替えレベルと思うのか、とりあえず、我慢して家に自分たちを合わせるしかないと思うのか。
その人に合わせて、その人用につくったとしても、それはその時点のもので、いくら想像力を働かさせて将来予測をしても限界がある。それを補うために、カスタマイズできる余地、余白のようなものも予め仕込んでおく。
どうもその余地、余白が、確かにあまり他では見ないから、かえってリアリティを感じ、説得力があるのかもしれない。