知覚されない単なる物体の建築
考えてもみたら自然界の中で人間が知覚できることは結構限られていて、光にしても全てが見えている訳ではないし、音にしても全てが聴こえている訳ではないし、見えない色もあるし、目にはそのように見えないが、写真ならば見える象もある。
人間が知覚できる範囲が基準で表現をしているから、それが一部だということに気がつかない。そして、それが全てで、それは良いことだと思い込まされているかもしれない。
建築はどんなにデジタル化されても、つくり方はある意味ローテクで、人間が知覚できる範囲しか扱うことができないから、知覚できないことが存在していようと関係がないかもしれないが、それは人間主体で建築を考えた場合で、あくまでも人間の知覚を基準にしているからで、例えば、単なる物体が先にあって、その単なる物体から触発されて人間が使いはじめ、その物体が人間を内包できたならば、そこに空間が存在し、それは建築であり、ただ、最初は建築には見えない単なる物体だから、人間が建築として知覚していることをその単なる物体は持っていないことになる、なのに建築である。
そのような建築として知覚されない単なる物体の建築をつくりたいとふと思った。