変わる気分で選択すれば
感情や気分が何かをきっかけに湧き上がり、それがさまざまな見方に影響を与え、その都度違う状況をつくり出す。その状況は言葉で表現するには複雑でまどろっこしく、イメージで表現するには単純すぎてつまらない。
何かを表現するというプロセスを介すると、そこで表現手段に合わせて変換しなくてはならないから、必ず抜け落ちる部分があり、それを踏まえて伝えなければならないのだが、伝えるという動作をひとつ入れないでわかるようになれば、できあがるものも違ってくるだろうと思う。
よくあるように記号化してしまえば、伝える動作を入れないで、表現というプロセスを介さないで、瞬時にわかってもらえるが、それで感情や気分によって変わる見方までわかるのだろうか、それこそ、もっとわからなくなるような気がする。
たくさんの記号が散りばめられていて、その中から選ぶようにすれば、その選ぶ基準が感情や気分であればいいのかもしれない。建築が記号の集合体になればいいのかもしれない。
と考えたところで、すでによくある「木の家」は記号化された建築だと思い、だから、「温もり」や「優しさ」などという固定された良いイメージがある一方で、感情や気分の入り込む余地がないくらい変わらないイメージになっており、それに息苦しさを感じる。
どこかでコロコロ変わる感情や気分を受け止める部分がないと人を包み込む建築で日常を送るのは辛いかもしれない。