外皮と中身
何からの影響かはわからないけれども、開放的な外皮の中に、不自由で動かせないもの、それは密実で塊で本質的なもの、を内包するイメージが常にある。
建築は基本的には動かないもの、動かせないもので、自由にできそうで、実は不自由なことが多く、制約が多く、その中でどうするかが問われているようにいつも感じていて、それをそのまま表現することもあるけれども、それに一旦開放的な外皮を纏わせることで、それが対象化され、より建築の本質のようなものが露わになるようなことを考えてしまう。
その開放的な外皮は存在として実体として目の前に無くてもよく、むしら感じられる、目には見えないけれど認識できるようなことの方がより内包するものを際立たせるだろう。
だから、建築を取り巻くものに、建築以上に興味が湧く。そして、それは日本的空間の得意とするところだろう。