建築である証拠
どこまでも永遠に続く空間がもし存在したら、それは建築というだろうかと考えた。
例えば、コルビュジエの「無限発展の美術館」という構想があり、その実現例が上野の西洋美術館だが、それは渦巻状の動線空間になっていて、無限にぐるぐると渦巻状に拡張していくことを想定していた。だだ、実際には終わりがあり、そこで壁ができて終わるのだが、そもそも、渦巻き状の空間を想定している時点で建築だった。
もし、ただ広い、あるいは、ただ長い、それも永遠に続きそうなくらいの規模の空間であったなら、もはやそれは「自然」と読んでもいいのではないかと思う。
ということは、建築である証拠は、終わりがある壁で囲まれていていることであり、それも人の営みが行われる範囲である必要がある。