庭があることで
先日の何もしない庭をつくった話のつづき、今は何かする庭をつくろうとしている。そこには1本の木を植えたい。むしろ木を植えたいから庭をつくろうとしている、と書いてふと思った、室内に木を植えたらどうなるだろうか、いややめよう、それも面白いが今は収拾がつかなくなる。
ただ1本の木を植えるだけでは庭にならない。その木があるからどうなの、ないとどうなの、庭の形は、庭のとなりに何がくるのなど、木を植える庭があると暮らしの中で何が変わるの?
以前に1本の木を植えた庭つきの住宅をつくった。その木はクライアントのお父さんが亡くなった頃から自然に敷地内に生えてきたらしく、残したいということで移設して庭の真ん中に持ってきた。その木はキッチンからもリビングからも眺めることができる、それが要望だった。
木が見えるということが家族のつながりを無意識に象徴することになった。庭は木のためだけにあるようなものだが、その庭がないとプランは完結しない。何もしない庭も同じだが、庭はあることでつながりをつくり出す、つながりがなければ庭はいらない。