いま、なにをみますか
カタがあると、それをだれかがくずし、またカタができる、そして、また、だれかがくずす。この一連のながれのなかで、どこに、いちばん、興味があるだろうか、とおもった。
はじめのカタがあること、そのくずし方、くずした後のカタのつくり方、また同じくずし方をするのか、など、ちゃくもくする点は、いろいろと、かんがえることができる。
きっと、自分は、また同じくずし方をするのか、に興味がある。カタなど、なにか主流のものがあれば、それとは真逆のものが、うまれる。そのときの、うまれ方、すなわち、カタのくずし方は、カタを相対化する方法をとる。
歴史はくりかえす、という。相対化する方法も、歴史をみればわかる。だから、また同じくずし方をするだろうことも予想はできる。しかし、それが、いつはじまり、だれがはじめて、どこではじまる、のかは、後になって、歴史になって、わかることで、同時代的には、なかなか、わからないこと、だとおもう。
ということは、また同じくずし方をするのか、に興味をもち、観察することは、いまをいきる、ことにつながる、とおもうし、そうすれば、いまがたいせつ、になる。いちばんは、いまかな、とおもう、きょうこのごろ。