自然のなかのかんじ

見ながら、見られる、そんなかんじが、自然のなかにいるかんじ、とちかいのでは、とおもった。

もし、見るだけだと、たとえば、木をみているだけだとしたら、自分と木が1対1で、あいたいするかんけい、でしかない。そこに、見られる、がくわわると、自分と木いがいに、また、なにかがあることになり、より、自分では、コントロールできない、かんけいになる。

この、自分では、コントロールできない、かんけいの度合いが、あるレベルをこえると、自然のなかにいるかんじ、がうまれる、のでは、とおもう。

それを、いま、すくない木で、じつげんしようと、している。

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