言葉をつくして物について語っても物そのものには届かない。言葉は飾りもので、言葉を使う側がもっている物の輪郭には迫れるかもしれないが、それは物そのものとはちがう。きっと物そのものはまた別にそれだけ存在しているのかもしれない。
そうすると希望がある。大概の人が惑わされるのは、物そのものではなくて、物について語っている言葉だからだ。言葉が物そのものだと勘違いをしている。
物のそのものが別に存在しているならば、いまからでもそれにアクセスすればいい。きっと物について語っている言葉がばかばかしくおもえて、必要な物がわかるだろう。