単なる記念品

古材を使おうとしている。理由は愛着があるからで、そこにはただ単に時間の積み重ねがあるだけでなく、何か大切なモノを象徴しているように思えるからである。そこではその古材が自分を構成する一部になって欲しいという願いの現れになっている。

ただ思うのは、その古材はそんなこととは関係なしに存在しているということ。きっとその古材を使うときにはその愛着や時間の積み重ねから自由になっていないと、古材が単なる記念品程度の安い価値しか纏わないような気がする。気をつけようとおもう。

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